夏川里美演唱「島唄」

「島歌」(島唄Shimauta)是來自於樂團THE BOOM的名曲,歌詞以沖繩為背景

當初曾在日本賣破一百五十萬片,另外也登上紅白演唱過

台灣這邊也曾經將該曲改編,由梁靜茹翻唱成「不想睡」

不過,雖然梁靜茹的版本是一般常見的情歌歌詞

然而實際上,原曲「島唄」歌詞所敘說的,卻是沉重的沖繩戰役

一九四五年美軍登陸沖繩,在當時日本政府希望「能拖就拖」的方針下,沖繩遭遇到慘烈的戰役

軍方與平民一共死亡失蹤超過十萬人數,更有無數人流離失所

特別是或受到日本軍方的強迫,或者在軍方強力宣傳下

許多民眾誤以為被美軍俘虜後,會造到無情非人道的虐待

因此寧願選擇自殺,甚至是整批人互相自殘的「集團自決」

儘管還是有部分人士得而倖存,然而曾目睹當時慘劇的他們,也成為心中一輩子的陰影

歌曲作者宮澤和史就是基於這樣的心情,創作了這首「島唄」

在此附上原版歌詞,以及原歌詞含意,還有原作者宮澤和史的訪談

出處參考:

https://matome.naver.jp/odai/2137646585772178801

 

原作者宮澤和史演唱島唄

 

島唄 島歌  

作詞    宮沢和史  作曲    宮沢和史 演唱    THE BOOM

 

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た

1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

刺桐之花初開 引著風 狂嵐暴雨來襲

(一九四五年春天、在刺桐花初開的季節,美軍開始進攻沖繩)

 

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た

(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

刺桐之花盛開 引著風 狂嵐暴雨來襲

(即使到了盛開的初夏時節,沖繩戰爭仍持續不斷)

 

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう

(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

重複不斷的哀傷 像波浪一樣 迴盪在島嶼之中

(無數百姓死傷,戰爭的悲劇擴及全島,就像波浪一樣)

 

ウージの森で あなたと出会い

(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

在甘蔗林中 我倆在此相遇

(在甘蔗林中,與深愛的你相逢)

 

ウージの下で 千代にさよなら

(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

在甘蔗田之下,與你在此道別

(在甘蔗田下的防空洞中,與深愛的你永遠隔世)

 

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ

(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島歌啊 乘著風 與飛鳥一同 渡海而去吧

(島歌啊,乘著風,一同伴隨著亡魂渡海,回到到遙遠的東方神界「ニライカナイ」去吧)

 

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島歌啊 乘著風 將我的淚水 請務必傳達到啊

(島歌啊,乘著風,將沖繩的慘劇傳達至日本本土知曉吧)

 

 

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ

(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

刺桐之花凋謝 只剩下細水餘波

(刺桐之花散落之時,規模巨大的沖繩戰役告結,平穩終於到來)

 

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

這極小的幸福泡沫 如同浪中的花一般

(和平時代的微小幸福,就像浪中的泡沫一樣稍縱即逝)

 

ウージの森で 歌った友よ

(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

在甘蔗林中 歌唱的友人啊

(在甘蔗林中,曾一起歌唱的友人啊)

 

ウージの下で 八千代に別れ

(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

在甘蔗田下,與你道別了啊

(在甘蔗田下,永遠的道別了啊)

 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島歌啊 乘著風 與飛鳥一同 渡海而去吧

(島歌啊,乘著風,一同伴隨著亡魂渡海,回到到遙遠的東方神界「ニライカナイ」去吧)

 

 

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

島歌啊 乘著風 將我的心意 請務必傳達到啊

(島歌啊,乘著風,將我的心意,傳達給已經往生的好友啊)

 

海よ 宇宙よ 神よ 命よ

(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

大海啊 宇宙啊 神明啊 生命啊

(大海啊 宇宙啊 神明啊 生命啊 在此像萬物請求)

 

このまま永遠に夕凪を

(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

願此世永遠風平浪靜

(願此世這般和平持續直到永遠)

 

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島歌啊 乘著風 與飛鳥一同 渡海而去吧

(島歌啊,乘著風,一同伴隨著亡魂渡海,回到到遙遠的東方神界「ニライカナイ」去吧)

 

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)

(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島歌啊 乘著風 將我的淚水 請務必傳達到啊

(島歌啊,乘著風,將沖繩的慘劇傳達至日本本土知曉吧)

 

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島歌啊 乘著風 與飛鳥一同 渡海而去吧

(島歌啊,乘著風,一同伴隨著亡魂渡海,回到到遙遠的東方神界「ニライカナイ」去吧)

 

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を

(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。

島歌啊 乘著風 將我的心意 請務必傳達到啊

(島歌啊,乘著風,將我的心意,傳達給已經往生的好友啊)

 

註:

ニライカナイ:沖繩古代傳說認為,在遙遠的東方海底,住著世界上的神,也是萬物與生命之源。所有生者自ニライカナイ而來,死後也將回到ニライカナイ。

刺桐:沖繩縣花,傳聞在刺桐盛開異常的年度,也是兇事必發的不詳之兆

 

 

宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために

宮澤和史從旅行誕生的音樂:僅只為了一人

 

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

 

其實,「島歌」原先只是為了獻給一位老婆婆而創作的歌曲。

 

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

一九九一年冬天,為沖繩音樂深深著迷的我,初次造訪了沖繩的「姬百合和平紀念館」。那時在那與一位「姬百合學徒隊」倖存的老婆婆相遇,了解當初日本為了拖延日本本土決戰時日,將沖繩作為犧牲品,造成大量人民在沖繩地面戰中無辜死去的史事。

 

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

當初那些人因為害怕被俘虜,甚至至親之間也相互自盡殘殺。記得在那時,首次聽到如此慘絕人寰的事情,不由得對於過去一無所知的我感到了憤怒起來。

 

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

資料館刻意設計成類似防空洞的空間,讓參觀者彷彿置身於當時。一思及當初許多人在像這樣的地方「集團自決」而犧牲,眼淚就停不下來。

 

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

然而,當踏出資料館後,進入眼簾的是靜靜隨風搖曳的甘蔗田。就在這種反差下,誕生了要寫一首歌,獻給老婆婆的想法。

 

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

歌詞之中提及在防空洞自殺的兩人。「在甘蔗林中 我倆在此相遇 在甘蔗田之下 與你在此道別」這一段。雖然「島歌」基本上使用沖繩音階,而刻意不使用rela而作曲,可是這邊回歸了一般日本本土的音階。這是因為兩人都是因本土犧牲的緣故。

 

(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)

宮澤和史。生於六六年。歌手。

2005822 朝日新聞(朝刊)

 

 

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